お侍様 小劇場

   “甘い微熱の罪なこと” (お侍 番外編 28)
 

 
 それは、月が変わってすぐの土曜の朝のこと。何かの拍子にふと、どこからか金木犀の甘い華やかな香りが漂って来て、ああもうそんな時期なのかと、しみじみしてしまう。

 「ヘイさんや。
  今かかってる路販車が仕上がったら、どこか栗拾いとかに行かないか?」

 路販車とは“路上販売用”の車のこと。ハッチバックのバンとかボックスワゴンとかいう小型のものでも、平八にかかれば工夫満載、設備充実の逸品となるせいで、五郎兵衛が経営する“片山モータース”への注文はこのところ引きも切らないという現状。オーナーの顔の広さのせいもあって、全国各地から集まる注文は、こんなに小さな島国だってのに寒冷地仕様だったり亜熱帯地仕様だったりとバラエティに富み、妙なところで職人気質の強いエンジニアさんには、毎日の工房仕事が楽しくて楽しくてしようがないらしいのだけれど。せっかくのいい季節だってのに、表へそっぽを向いての背を丸め、ただただ車と向かい合ってばかりいる同居人なのが、気立ての優しきゴロさんには、何とはなく気になってもいるのだろう。朝ご飯のおむすびを、
『やあ、新米ですねvv』
 ふくふくした頬をほころばせ、それはありがたそうに食べ始めた小さな同居人さんへ、そんなお声を掛けており。
「ふいひりょい?」
「ああ。丹波篠山などという高級品とまでは行かないがの。ほれ、八重さんを覚えておらんか?」
 大根の千六本に油揚げのおみそ汁と、お隣りさんからお裾分けしていただいた里芋の煮っころがしに、大根の葉の浅漬け。秋の朝の透明な陽射しが斜めに差し込むキッチンに、白い湯気がふわふわと立ちのぼり、ちょっぴり熱くしすぎたかな?という熱々のおみおつけの香ばしさが、起きぬけの身をじんわりと温めて起こしてくれる至福のひととき。…だっていうのに、働き者だからというよりも早く遊びへ戻りたい童もかくや、おむすびを咥えたまんまという落ち着きのなさで、今にも椅子から立ち上がりかかっていた平八へ。まあ待たれよとでも言うかのように掛かったお声であり。
「八重さんというと、あ、梨を毎年送って下さるおばさんじゃあないですかvv」
 顔の広い五郎兵衛には知己も多くて、平八はその一人一人を覚えておくのがまた大変だと、いつも苦笑を零してる始末。八重さんというのは五郎兵衛の遠縁にあたるという年嵩な未亡人で、果樹園を色々と揃えた山を持っていて、旬になると商売っ気抜きで五郎兵衛へも山ほどの果実を届けてくれる。
「栗園もお持ちだったのですか?」
「というか、隣りの山の地主が妹さんなのだがな。旦那さんが倒れたかどうかしたってんで、そっちの世話も任されててんてこ舞い。手伝いがてら遊びに来ぬかと言って来たのだよ。」
 頬骨の張ったいかついお顔を柔和にほころばせ、どうだろうかな?と訊く壮年殿へ。米粒の居残ってた指先を、無意識のことだろう持ち上げて、豊饒のお宝を余さずいただいてた平八の口元が…ふにゃりとゆるむ。

 「栗拾いなんて幼稚園の遠足以来ですね。」

 一緒に行ってくれるかの? 勿論ですよ、嬉しいなvv うふふと笑って、じゃあとやっぱり椅子から立ち上がり、
「なら尚のこと、とっととあのボックスカー片付けてしまわねば。」
「おいおい、ヘイさん…。」
 あ・勿論、丁寧にかかりますからと、見当違いなお返事をし、みそ汁の残りをずぞぞっとすすり上げて、キッチンを出て行きかかった小さな背中が…戸口のすぐ外でがっくんと急停止。日頃からも、コマネズミのようにコロコロちょこまか、大きな躯の自分の倍のスピードで動き回って見えるよな彼のこと、今度はどうしたのかなと引き留めがてらに釣られて立ち上がった席から、テーブルの縁を大回りして戸口まで。その歩みを運んで来た五郎兵衛の目線が、彼のそれが向いてる同じ方向へと伸ばされて……。

 「久蔵ではないか。」

 風通しよく開けっ放しにしていた玄関の戸口。四角い枠をそのままフレームにして、表の明るさや門柱までの短い前庭の緑などなどを背景に。ふらりと立っているのは幻のような白い影。逆光になったせいで常よりも淡さを増した金の綿毛に縁どられた、白くて端麗なお顔は…心なしかいつもよりも覇気が薄くて。朝に弱い人だったかしら、いやいや毎朝そりゃあ凛々しく竹刀を振っておいでだってのにそれはなかろうと、お顔は固定したままでこちらの住人が交わすやりとりが、さて届いていたものか。その痩躯で全国一という高校生チャンピオンの剣豪が、だが、提げてたバッグをそのまま足元へと取り落とすと尚のこと悄然とした様子で立ち尽くしてしまうものだから、

 「…っ、ご、ごめんなさいっ!」
 「なんでヘイさんが謝る。」
 「いえ、何だか無言で責められてるような気がして。」

 疚しいことは持ち合わせがありませんが、それでも…のうのうと生きててごめんなさいと。理屈を色々差し置いてでも頭を下げてしまいたくなるような。常とそうそう変わらぬ無表情の上へ、そんな悲壮な何かを間違いなく塗りたくっているよな様相も痛々しい、こんな形で感情を表出なさるなんて狡いとのちのち平八に言わしめた、お隣りの島田さんチの次男坊殿。その、静かな静かな佇まいは、それだけで事態のただならぬ重さを十分に伝えて下さったのだった。





  ◇  ◇  ◇



 背中までと長く延ばしているせいで、パッと目にはゆるやかなウエーブをなして見える濃色の髪を、今日はうなじに大ざっぱに束ねておいでの家長殿が、廊下からキッチンへと入りかかったそのまま後戻りをし、

 「おお、五郎兵衛か。」

 こちらさんのお宅でも、ドアに鍵をかってはいなかった玄関口。短い筒襟の木綿のシャツに作業ズボンという、いかにも平服という恰好の隣人、片山五郎兵衛が飄然と立っており。何をどこまで察しているものか、
「お邪魔ではないかな?」
 度が過ぎぬ程度の、だが、十分朗らかに。そんな声を掛けて来た彼へ。こちらの家長、勘兵衛もまた、深みある色合いの目許を細めて和やかにも笑んで見せる。
「もしやして久蔵がそちらへ伺ってはおらぬか?」
「ああ、お越しだ。この世の終わりのような顔をしてやって来たぞ?」
 いかにも武骨で線の太い面差しで くすすと笑い、

 「だからこそ、シチさんに何かあったなと、察しも出来たがの。」

 あの、日頃こつこつと鍛練を積み上げて培った、並大抵ではない剣技への自信に根づいた威容と、それを下地にしてのもの、まだまだ十代という若さに似あわぬ寡黙さとを持つ久蔵が。そんな泰然としたところとの均衡を取りたいか、もっとずっと幼い子供ででもあるかのように甘える様を、隠しもしないでいるほどなのが。兄の、いやさ母親代わりの、大好きな七郎次との睦みよう。それだけこちらへ心許してくれているからこそのことだろか、それとも人目なんかどうだっていいほどということか。髪を梳いてもらったり、襟を直してもらう程度に収まらず。あ〜んと手づから菓子なぞ食べさせてもらったり、指先が冷たいからと握って温めてもらったり。子供扱いで甘やかされるのも苦じゃないらしいほど、なりふり構わずになるくらい、繊細で優しい兄上が大好きで堪らぬらしい久蔵だという事実。お隣りさんでも もはやすっかり、大前提の基本事項として刷り込まれているほどだったから。
「そういえば朝のお稽古の声や気配が今朝は聞こえなんだし。誰が何を言ったところで、傍から離れやせぬだろに。それがああしてウチを頼って来ようとは。」
 こんな異なこと、そうそうありゃあしないとばかりの感慨深げな声音となった五郎兵衛殿、

 「久蔵殿とシチさんに、一体何があったのだ?」

 それを確かめに来たのだと、それこそ隠し立てもせぬままの真っ直ぐな訊きようをする。こちらの家長の勘兵衛殿とはさして年も離れぬ壮年同士。年齢不祥なところまでが似た者同士な、相手の人性の奥深さ、お互い様でよくよく把握してもいるせいか、勘兵衛の側でも、押しつけがましいお節介や、若しくは好奇心からの詮索なんかじゃあないというのは重々判っておいでであり、

 「うむ、実は七郎次がいきなり熱を出してしもうたのでな。」
 「お………。」

 そういえば。普段着のそれだろう、アイロンあてずのラフなシャツの袖を、肘までめくり上げている勘兵衛であり、キッチンへと向かいかかっていたのは、看病に要りようなものでも取りに来たからか。手慣れた七郎次が奔走しているのとは勝手も何やも違うだろうから、
「それではこうしている間も惜しいだろうに。」
 呼び止める格好になってしまって済まなんだと、踵を返しかかった隣人へ、
「いや、むしろ丁度よかった。」
 待たれよとの素早い間合いでお声が掛かる。んん?と、半身になりかけたそのままの肩越し、振り返って五郎兵衛がその視線を向けたれば。図々しくも調子のいい言いようだったとさすがに気づいてか、呼び止めておきながら今になって少々視線を泳がせた勘兵衛だったが、迷って見せたのもほんの刹那のことであり。

 「よければ助言をもらえぬか?」
 「は…?」




        ◇



 一階の奥向き、リビングとは小さめの収納庫を挟んでの隣り合わせの寝室は、秋冬用のへと替えたばかりのシックなセピア色のカーテンを、半分ほど引いて明るさを調整されており。
「これは…。」
 部屋の主役の大きなベッドはキングスサイズか、一人では随分と場所が余っているその中程に、ほんのりとお顔を赤くした七郎次が横にされての埋まっておいで。呼吸が辛そうで、汗も止まらぬか、癖のない金の髪の後れ毛を額や頬に張りつけているやつれようが、何とも痛々しい限りだが、
「…ん。」
 苦しげに小さく唸ると布団の下から腕を出し、身をよじるようにして掛け布を退けようとしかかるのへと、
「ああこれ、大人しくしておらぬか。」
 またかと言わんばかりの声を出し、勘兵衛がすたすたと歩み寄っての布団を直しにかかる。額に載せられていたらしい濡れタオルが、髪をすべっての頬の横に落ちており、それを拾い上げがてら、めくられかけていた布団を首元まできっちりと掛け直す勘兵衛へ、

 「ああ、それはいかんぞ、勘兵衛殿。」
 「?」
 「こうまで暑がっておるのなら、布団はいっそ夏掛けに替えてもいいほど。」
 「だが、暖めたほうが良いのでは?」

 あああ、そうかやはりと。いかにもこれみよがしな態度は避けてのこっそりと、胸の裡でだけで肩を落としての溜息をついた五郎兵衛であり。

 「風邪の引き始めなんぞで、ぞくぞくするという時期は暖めるのが常套だが。
  ここまで熱が出ていて汗もかいておるのなら、
  逆にどんどん冷やさねば、脱水症状を起こしてしまう。」

 御免と断り、脇卓に置かれたあった吸い飲みを手に取ると、眠ったままな七郎次の口元へと先を咥えさせたところが、こくこくと飲み始めたほどであり。

 「……おお。」
 「ほれ。無意識にも水が足らぬと求めておいでだ。」

 様子を見に来て正解だったとばかり、胸を撫で降ろした五郎兵衛殿。
「本人が寒がれば別だがな。こうも嫌がるようならば、熱が下がるまでは好きなように、そうさな薄い布団に替えてやった方がいい。」
 そうと忠告してやってから、吸い飲みは勘兵衛に任せ、室内を見回して。不思議と同じような場所へ収納するものとのあたりをつけての、勝手知ったるよそ様の寝室。ベッドの足元へと眸をやり、3つほどの引き出しになっている足元側のをかたりと引き開ければ。洗いたてのシーツが収まっていたので、それを数枚ほど引っ張り出して。
「落ち着かれたならまずは着替えだ。パジャマの替えはどこかお判りか?」
 そこまであちこち引っ掻き回しも出来ぬと、勘兵衛へ訊けば、

  「壁の、クロゼットの、中ダンスの下の二段です。」
  「…おや、シチさん。」

 人心地ついたものか、吸い飲みから口を離した病人ご本人がそんなお返事を下さったので。再び御免と断ってから、壁へ作り付けになっている扉を開いての中ダンスを引き開ければ。さすが整理整頓に卒のないおっ母様。言われた通りの場所きっちりと畳まれたパジャマが収納されており、

 「これへと着替えさせておやりなさい。
  某
(それがし)はその間、席を外しておるからの。」

 男同士とはいえど、妻にも等しき間柄だろうことくらい、湿った後れ毛を払ってやる手つきの優しさや、そそぐ眼差しのいたわりを今更見ずとも、とうに察していたらしい五郎兵衛で。だとすれば、こちらも男同士であるものの、そんな大切な者の肌、そうそう晒したくはなかろうからとの心遣いから。返事も待たずに寝室を出て、さて。
“…そうさの。”
 枕元には吸い飲みと洗面器こそあったけれど、他の用意や手当てはどこまでこなしておられるものか。久蔵が訪ねて来たのこそついさっきではあったれど、もう陽が昇ってから結構な時間となっており。

 “食事は取ったのだろか。”

 そういった家事全般を担当する唯一の存在があの様子だ。今朝から起き上がれていないのか、起きていて倒れたか。そういえば久蔵が朝の素振りをこなしていないから、その時点からの異変だったということだろから。元気な二人はともかく、まずは病人が何か食べていないとと、そのまま真っ直ぐ向かったのがキッチンで。

 「おや。」

 だが、予想に反して、ガス台には小さめの土鍋がかかっており、蓋を開ければ一人分にはやや多めの雑炊が炊かれた跡が。朝食代わりも兼ねてのこと、勘兵衛が野菜の雑炊を作ったらしく、まな板や包丁が使いっぱなしなのはままご愛嬌。まずは沸騰式のポットの湯を確かめるとそれをコンロの紅茶用だろうステンレスのやかんへ取り、流しの中の洗い桶に氷水を張ってそこへと浸ける。それから、
「確か…。」
 時々遊びに来たり、ホームパーティーだという席へと招かれたりしている間柄。それで覚えていた位置の釣り戸棚を開け、アイスペールを取り出すと、軽くすすいで布巾で水気を拭い、氷で満たす。クーラーポットはないかと見回して、グラスを並べたサイドボードを眺めれば、その端のバネ式扉になってる端に、水差しだろうバカラが幾つか収めてあったので。その中から小ぶりのを選んでやはり水洗いをし、グラスを添えると、一旦キッチンから出てサニタリーへ。タオルを収納している整理ダンスを開けて、ハンドタオルを数枚と、スポーツタオルを手にし、戻ったキッチンで洗い桶に浸けて粗熱を取っていたやかんの白湯をバカラへ移して、さて。寝室のドアが開く気配がしたのを拾い、それら一式を手に廊下を進めば、顔を出した勘兵衛がこちらへ目顔で済んだと示し、ドアを大きく開いてくれて。促されるまま中へと踏み込めば、

 「…ゴロさん。」
 「おや、いけないな。横になっておらねば。」

 先程 指示を出してくれたそのまま、熱で朦朧としていたところから目を覚ましたか。青玻璃の眼差しもすっきり…とまではまだ復活が足らぬが、それでも表情はいくらか定まった七郎次が身を起こしてこちらを向いている。汗が引いたら今度は寒気が襲うかも知れぬのでと、長袖のパジャマに着替えさせたが、男物のストライプのそれが、なのに借り物をまとったように見えるのは、やはりまだまだ覇気が沸かぬ身だからだろか。姿勢もちょっぴりたわんでの猫背気味で、気を遣わずともいいからと、壮年が二人掛かりで寝なさい寝なさいと促しての横たわらせれば、
「すみませんね。まだ朝も早いというのに。」
 いくら不慮の事態だとはいえ、お隣さんにまで御足労いただいたのが、彼にしてみりゃ恐縮千万に値するものか。熱に浮いたままなお顔で、ひたすら謝ってばかりいて。
「なに。久蔵殿が、家出なんだか遊びに来たのか、どうとも釈れる様子で荷物を提げて訪のうたものでな。」
「久蔵殿が?」
「ああ。相変わらずの無口に輪をかけて、うんともすんとも話して下さらぬのでな。そこで、芸がない話だが、ヒントをもらいにと運ばせていただいた。」
 あくまでも深刻にならぬよに、軽妙な言いようでそうと伝えれば、

 「この世の終わりのような顔をしておったのだそうだぞ?」

 勘兵衛が又聞き話でそんな風に茶々を入れ、

 「おうさ。どんな天変地異が起きようと、
  そうそうたじろいだりはせぬだろう久蔵殿が、
  そのまま冥府への誘いにも乗ってしまいそうなほどしなびての、
  何とも覚束ぬ様子でおったからの。」

 そうまで案じておったぞと、だからこそ早よう元気にならねばのとの意を込めての言ってやると。これも取り替えたらしい枕カバーのさらさらな感触へ、朱をはいた頬を埋めたうら若きおっ母様、

 「きっと切り替えて下さったのでしょうね。」

 そんな言いようをぽつりと零される。おや?と、勘兵衛と五郎兵衛とが顔を見合わせてしまったところへ、

 「アタシが…久蔵殿が不自由してないかって案じて、
  素直に養生しないんじゃあないかと心配してのこと。
  自分は平気だからとお出掛けしてくれたんでしょう。」

 ちょっぴり掠れた声でそうと紡いだ七郎次であり。成程さもありなんと勘兵衛が堅物な表情を緩めて見せたほどだったのだけれども。

 “それは判らんではないけれど…。”

 整い過ぎて冷淡に見えかねぬほどの美麗な顔容
(かんばせ)をしてはいるが、聡明で気立ての優しい子だというのは、五郎兵衛も承知。それでもやはり…不審なことと、七郎次からの言いようを訊いてもなお腑に落ちないのが、そんな久蔵の取った行動そのものだ。七郎次は“自分の世話のことを七郎次が気にかけてしまわぬようにと気を遣ったのだろう”と解釈し、確かに五郎兵衛もその辺だろうと思ったが、それにしたって、何も隣家まで撤退するというのは大仰が過ぎるのではなかろうか。家事が滞るくらい、とんでもなく神経質ならともかくも、子供ではないのだそれほど我慢が利かないことではなかろう。ましてや、七郎次を母親以上の神々しい対象とするほど慕っている久蔵が、いくら何もしてやれぬとはいえ、その傍らから大きく離れてしまったこの態度はあまりにも意外すぎて、どうにも理解に苦しむところ。

  “???”




  ◇  ◇  ◇



 集中を高めての真摯な“型”では、鋭気を孕んだ裂帛の気合いも勇ましく。宙をひるがえる竹刀や木刀が銀翅閃く真剣に見えるほどもの、誰もが認める練達の君だというに。年の離れた義理の兄、物腰柔らかな七郎次の笑顔の前では、眼光鋭い猛禽の眸をゆるめ、刃持つ翼を畳んでの、それはそれは大人しい構えに落ち着いて。生まれたばかりの仔猫のように、良いようにじゃらされておいでだったりし。遊び盛りなお年頃の高校生が、学校に通う以外は外出もろくにせず、兄上のおわす家に居るのが一番と、そうまで慕う相手だからこそ、

  「…何でまた、そのお傍に居られないのです?」

 手厚い看病は出来ずとも、せめて何かあったらすぐにも手を貸せるほどの傍に居たいとするものじゃあなかろうか。状態が安定しての眠りについたなら、その寝顔を見やり、安堵したいと思うものじゃあなかろうか。自慢の手料理、加減が抜群なおむすびを出してやりつつ、平八がそうと訊くと、
「…。」
 もそもそとゆかりご飯のおむすびを頬張っていた久蔵の咀嚼が止まる。ああしまった、喉が詰まるようなことを訊いてしまったかしらと、平八が後悔しかかれば、

 「…目の毒だ。落ち着けない。」
 「はい?」

 ぼそりと呟くものだから、
「勘兵衛さんとシチさんの睦まじさがですか?」
 そんなもの、今更なことじゃあないですかと切り返せば、
「いや…。」
 言葉を濁した次男坊。いつも通りに目を覚まし、竹刀を片手に二階から下りて来たところまでは、いつもの朝と同じだった。だが、自分よりも早くキッチンにいるはずの七郎次の姿はなく、おやや?と小首を傾げておれば、ちょっと見にはそうは見えぬながらも、少々慌てふためいて寝室から出て来たのが勘兵衛で。まずは洗面所へと向かい、タオルを収めたタンスをどたばた開け閉めしてののち、洗面台のあちこちを見回してから、うんと頷くと風呂場へ入っていって洗面器を持って出て来る反射の悪さが、何とも彼らしくなく。そのままキッチンへと向かったのと入れ替わり、ドアが開けっ放しになっていた寝室を覗いたところが、

 『……久蔵殿、ですか?』

 中途半端に半分だけ開けられたカーテンは、一応 起きはしたらしい七郎次が開けようとしかかったものなのか。その仄かな明るさの中、勘兵衛からやや強引に寝かしつけられたのだろう七郎次が、それでも気丈に身を起こしていた姿が見えたので、

  一体どうしたの?

 力ない声へ胸を衝かれての、それはそれは案じてのこと。竹刀を壁へと立て掛けての歩み寄ってみたまではよかったが。随分とやつれて気だるげな様子の彼の、これまでに見たことのない佇まいが…久蔵には何とも衝撃的であったらしい。

  『…。/////////』

 気遣ってやらねばならぬ状況らしいのに、熱がもたらすものだろうあれこれが、何とも言えぬ色香を満たしての近づき難く。例えば、熱に火照ってのことか甘い香が日頃よりも温められての増しており、束ねぬ髪を下ろした頬の線の細さ、表情にも霞がかかっていての覚束なく。目許は潤み、肌は仄かに朱を昇らせての桜色。吐息は甘いし、口許は紅を含んでの赤々と濡れ。声は掠れて、力ないところがどうにも婀娜っぽく。

 『…久蔵殿?』

 反応が鈍くて、一つところを潤みの増した眼差しでじぃと見つめ続ける横顔の、何と蠱惑に満ちていることか。身動きや所作も緩慢で、間の取り方もいつもの優美さを飛び越してのただただ悩ましげと来て。普段は清楚な温かさをまとっておいでの麗しい人が、今朝だけは少々しどけなくも妖しき色香をしたたらせていたがため、疲弊のせいだと判ってはいたものの、気の毒だと思う以上に目のやり場に困るほどの妖しさに飲まれてしまい、

 『あ…。/////////』

 せめて横になっててと手を貸したところが。触れた手へと伝わったその身の熱さや、苦しいからか ほうと零れた溜息のやる瀬なさがまた。蕩けそうなまま ゆらゆら揺れていた眼差しと共に、清廉実直、無垢なままなところの多かりしな次男坊の胸底を、激しく蹴立ててしまったらしくって。

 「〜〜〜。」

 大変な状態の七郎次なのに。大好きで大切な人だってのに。要領が悪くて物知らずであるがゆえ、看病らしいことを何もしてやれないのみならず。弱ってた人を相手に、不謹慎にもドキドキしてしまった自分がどうしても許し難くてのこと。誰に何をか言われた訳でもないまま、自主的にこうして避難して来た彼だったのだけれども。

 「…。」

 今になって、疚しさに負けての逃げた身が口惜しいと、唇咬んでる純情派。そして、そんな彼を見やって、

 “こりゃまた…思ってた以上に久蔵殿のシチさん依存は強そうですねぇ。”

 ああまでよく出来た、しかも可愛らしいおっ母様。慕う気持ちは判るけれど…と、マナーモードで五郎兵衛から届いたメールでコトの次第をさらった平八としては、こちらの彼の先行きのほうが、何とも心配でしょうがない。

 “とりあえず、シチさんには熱を下げてもらっての、
  これからも健康管理には重々気をつけていただかなくては。”

 でないと、これまでの波風立たなかった日々に慣れ過ぎた身へ、こんな痛手が何度も何度も襲ってはたまらぬだろに。気の早い秋めきが運んだ思わぬ波乱へ、カナリアみたいに儚くもやあらかい心、はらはらと揺らした剣豪殿の白い横顔へ。案じるような眼差しそそいだ平八殿であったのだった。





  〜どさくさ・どっとはらい〜 08.10.03.


  *台風催いの長雨からこっちの寒さのせい…というのではなくの、
   実は“風邪ネタ”は大戦捏造噺の方で捏ねてた最中だったんですが。
   某様から
   『(ウチの)島田さんチで
    シチさんが引っ繰り返ったら 誰が看病するのでしょうか?
    つか、あの家は一体どうなるのでしょうか?』
   そうと訊かれてしまいまして。
   あ・そっか、それも美味しい萌えですねぇと、
   方向転換したものの、最初のプロットも捨て難かった貧乏性。
   どっちも書いちゃると企んでたら、
   残暑のぶり返しが襲って わやです、昨日今日の近畿地方。
(苦笑)

   とりあえず、まずはのこちらをUPと運びました。
   大戦捏造噺の方はまた後日。
   中心へ据えたコンセプトは同じなので、
   結果として似たような内容になってしまうかもですね。

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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